二義少年三百年祭

二義少年三百年祭 page 7/10

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-12-いに悲憤のあまり、今宵直ちに領主の屋敷に忍び入り、手に持つ鎌で悪人を皆殺しにしようかと計り、また考えては、領主が菩堤所の玄答院に参詣の折、その行列が崖下を通る時、上から巨岩を転がし落して悪役人を殺....

-12-いに悲憤のあまり、今宵直ちに領主の屋敷に忍び入り、手に持つ鎌で悪人を皆殺しにしようかと計り、また考えては、領主が菩堤所の玄答院に参詣の折、その行列が崖下を通る時、上から巨岩を転がし落して悪役人を殺してやろうと話し合ったりしました。しかしこのようなことをして、一時の憤ふん懣まんをいやすことができても、これをもって、農民の塗炭の苦しみを救うことはできるものではないと知りました。二人は切歯扼腕して血涙をしぼりましたが、さらに良策が何であるかをすぐに案出することはできませんでした。時も時、この地に幕府の隠かくし目め付つけ、大川伊左衛門という者が、諸国巡視として廻り来りました。伊左衛門は廻国六十六部の姿に身をやつし、この地に来たのですが、さいわいにして二人の青年に会い、益田家の悪政を聞き、二人の決心を知りました。伊左衛門は二人の誠心に感動し、良策を授けました。それは萩の本藩の殿様へ直接にこの悪政を訴え、藩の力によって農民を救ってもらうのが良いと教えたのです。そしてみずから筆をとって藩主への直訴状を書いて二人に渡しました。二人は喜んで、これをもって萩へ出立することになりました。もとより二人は、すでに命を投げうって、村の人々を救うことを決心していましたので、あえて未練はなかったというべきでありますが、清介には妻があり、幼兒もありました。これらの肉身とこの世の別れかと思うと、悲哀禁じ難いものがありました。親族、朋友に送られて、直訴状をふところにして、健気にも涙を揮ふるって出かけましたが、二人は後ろ髪をひかれる思いで、幾度も幾度もふりかえり、生まれ育った村を後にしたのでした。二人は萩城に至り、漸ようやくにして訴状を藩庁に提出することができました。藩主はそれを読んで益田領地の悪政を知り、益田を呼び出してその責任を問いました。益田一家は大いに驚き、領主就高は閉門、内海与一左衛門は国外追放の刑に処せられました。さらに藩は益田氏の長野村の領地七百九十余石をとり上げて、ここを藩直轄の御蔵入り地としました。時に宝永七年(一七一〇)のことでした。処刑の報に村人嘆くしかし、清介、角左衛門の二人は、心情の崇高、