二義少年三百年祭

二義少年三百年祭 page 6/10

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-11-したが、農民たちの訴えに対して、全くそれを聞こうとせず、さらに年貢の完納をきびしく申し付けるという有様でした。しかし農民たちは、これ以上耐え得ることはできないという状態であったので、幾度もとりはか....

-11-したが、農民たちの訴えに対して、全くそれを聞こうとせず、さらに年貢の完納をきびしく申し付けるという有様でした。しかし農民たちは、これ以上耐え得ることはできないという状態であったので、幾度もとりはからいの事を願いました。すると代官は居い丈たけ高だかに怒って、「拙者がこのように申し聞かせても聞き入れないならば、三日の中に百姓の五十人、七十人くらいは入替えをして、お前らのような横着者は、青菜のようにスラスラと刻み殺してやるぞ。それよりもまた、東岡原で田楽のように串に刺して磔はりつけ刑にしてやろうか。百姓の分際で身の程知らずの事を言うな。不服ならばこのことを萩の藩庁へ申し出ても、また幕府に訴えても、この方は全く苦しうない。お前たちがやれるものならやってみるがよい」と一喝しました。農民らはその勢いにのみこまれて、ふるい恐れ、泣寝入りするより外はありませんでした。その後悪政はさらに甚だしくなりました。このような時、作左衛門という百姓は、その年の年貢が、出来高ではどうしても納めることができず、このままでは年末には一家水牢の刑に処せられることになるので、思いあまってついに石田南原の溜池に身を投げて死に、一家を救いました。今に伝わる俗謡「長野作左は御当用が不納で、石田堤つつみに身を投げた」というのはこのことを言うのです。立ち上がった二人この長野村の庄屋、松原市六の長男に清介という若者がありました。またその同輩に角左衛門という若者がありました。純情の二青年は村の窮きゅう状じょうを見るにしのびず、また作左衛門が一家の者にかわって死んだことを悲しみ、「一命をなげうって家をすてて、この長野一村数百人の農民を救うことを考えたい。いまわれわれが犠牲となって、この里の人々が安心して暮せるようにしたい。他に頼らず二人で命をなげ出して窮状を救おう」と決意しました。さて、清介、角左衛門二人の青年は、農民としては少し見識の備わった人物でしたが、もとより百姓の子であるので、心ははやっても、その策をどうすればよいか、よい思案はなかなか出ませんでした。ある時は相伴うて、東山に薪を採りに行き、一日中評議をしましたが、月が出ても良案は浮かばず、つ